書評:『貧困・孤立からコモンズへ―子どもの未来を考える』初学者もぜひ手に取ってほしい―貧困と孤立をめぐる子ども・若者支援の現在地をとらえる良書
駒澤大学 萩原建次郎(社会教育学・教育人間学)

本書は貧困と孤立をめぐる子ども・若者支援の現在地を多角的俯瞰的に捉える良書である。「子ども・ 若者の貧困・孤立」を切り口に、各方面の第一線で活躍するスペシャリストがそれぞれの分野から現状や 課題、展望について論説する。「子どもや若者たちの貧困と孤立が気になっていても、なかなか踏み込め ない」、「いったい自分に何ができるのだろう・・・」と躊躇していたり、漠然とした不安を感じたりして いる方もぜひ手に取ってほしい。よき導きの書である。
内容・構成は NPO 法人さいたまユースサポートネット主催の連続講座の記録がベースとなっている。 そのため各章は関連しつつも、基本的に独立している。そのため、読者の関心に近い章から手にとっても 読みやすい構成になっている。
全体は 10 章立ての2部構成で、第1部は社会政策、若者政策、福祉政治、社会福祉、学校教育の5分 野の研究者から、貧困と孤立の問題を俯瞰的に描き出している。
第2部は子ども・若者の貧困・孤立の現場からの視点で、当事者に日頃から直接的かかわるスペシャリ ストが、日頃の子どもや若者、親・保護者たちの心の機微を丁寧に描き出している。
これから貧困や孤立、子ども・若者支援について学びたい方は、この第2部から読み進めるとよいだろ う。また、第1部の議論が抽象的に感じられる方も、第2部を読むことで、貧困・孤立をめぐる政策論・ 制度論を裏支えしている、問題のリアリティが見えてくる構成になっている。
このように、本書は各分野のスペシャリストが「貧困・孤立」をめぐる共通テーマを論じつつ、全編を 通して問題の所在を多角的・複眼的にとらえ、解決に向けていかなる処方箋が必要なのか、その核心が立 体的につかめる仕組みになっている。そこには連続講座から本書の企画・執筆までを手掛けてきた、編著 者でもある青砥恭氏(さいたまユースサポートネット代表理事長)の深い思いが下支えしているのを感 じる。
さて、評者(社会教育学・教育人間学)の立ち位置からも感じたところを付しておきたいと思う。 評者は 1990 年代中頃から子ども・若者の居場所喪失体験をめぐって研究を続けてきたのだが、「非貧困層」に見えるマジョリティ(?)もまた生きづらさを抱えていることを強く感じている。
本書のように、子ども・若者支援の政策課題としては、ヤングケアラーや長引く社会的引きこもり、自 殺など、課題が先鋭化してくるところに光があたる。しかし、子ども・若者の成育環境の病理はそれだけ では見えてこない。
放課後の外遊び環境の悪化、小中高生たちの放課後の多忙化、「教育ストレス」「教育虐待」という言葉 が登場するほどにのしかかる、彼ら・彼女らへの高度な能力期待などで、子ども・若者のウェルビーイングにかかわる生の基盤は脅かされている。
そうした背景には、「地域社会」を自明の前提にできないほどの人口流動化と近隣住民同士の関係性の 匿名化、子育て家庭の孤立と共に、放課後の安心安全な外遊び環境を脅かす、近隣住民による思春期年代への厳しいまなざしなどがある。「子ども会」のような、広く地域の子どもを対象としてきた地域青少年育成活動は、担い手不足もあいまって衰退の一途をたどり、子どもの「体験の貧困」や「関係性の貧困」は、1970 年代から「三間(時間・空間・仲間)の減少」として認識され、「経済的貧困」以前から広汎に発生してきた課題となっている。
これらの社会現象も視野に入れたとき、そのすべてが「新自由主義」に起因するといえるのだろうか。 そのもっと内奥、もっと核心にある近代社会・近代教育・近代的人間観・近代意識の問題にまで立ち入る必要がありはしないか。地球環境破壊の問題に至っては、明らかに近代科学技術文明の負の側面である。
本書は、今後の展望に子ども・若者の健やかな育ちを地域住民が主体となって担っていく「ローカル・コモンズ」の提唱をしている。ローカル・コモンズが上記のような視点とも有機的に結びついて、新たな地域コミュニティの創出が目指される必要があるのではないか・・・。そのようなことを感じながら、私自身何ができるのか、なすべきなのか、考えさせられる書でもあった。