颯(そう)さん(仮名) 1999年生まれ 19歳
母と子の2人家族のひとり親世帯で家計は苦しく、さいたまユースでデッサンや受験勉強(いずれもボランティアで無料)を行って今は芸術系大学へ通っている。
「さいたまユースの活動にかかわったのは中学2年のころでした。その頃私は不登校で、中学には行ってませんでした。」
「なぜ、中学校に行けなかったのですか」
「小学校からそのまま持ち上がりのような学校で、いじめがあってつらい学校でした。学校の先生からも、不登校の子に個別に勉強を教えることは不公平だからできないって言われて。制服も嫌でしたし、とくにスカートが嫌でした」
「先生に『不公平』と言われたのですか?」
「そう言われました。適応指導教室でも、ここも合わなくて…。その頃、相談していたさいたま市のこころの健康センターの職員の方にユースのことを教えてもらいました」
「それからユースに通ってきたのですね」
「中学で美術部に入っている話をしたら、ユースのダニーさん(辛芳典・芸術系大学出身)にデッサンを教えてもらうことになりました。」
「それが今、あなたも芸術系大学に入って絵を勉強するきっかけになったのですね。」
「そうです。ユースで絵の面白さを教えてもらいました。高校も芸術系に入りました。」
「高校入試に向けてもユースで勉強していましたね。」
「土曜日はユースがやっているたまり場で、木曜日はユースの事務所でボランティアの新村さんに教えてもらいました。」
「毎週、必ず、勉強やデッサンをやっていましたね。」
「中学2年、3年は学校ではなくユースで勉強しました。」
「今大学生活はどうですか」
「油絵をやっています。大学でたくさん友達もできましたし、おもしろい授業が多くて本当に楽しいです。なにより自由でいい大学です。うちはひとり親ですし、お金もないので、学生支援機構の給付型と貸与型の両方、大学の給付型の3種の奨学金を利用しながら大学に通っています。ユースでの学習やデッサンは楽しかったですね。」
新村恵一さん
元は自動車関係の大企業でエンジン部門の研究開発をしていたサラリーマン。ボランティアをしながら、毎年、さいたまユースに多額の寄付を続けている。
「新村さんと私との地域のボランティアは長くなりましたね」
「青砥先生が桶川高校におられたころからですから、30年近くなりますね。」
「さいたまユースの学習ボランティアは設立時から毎回、土曜日のたまり場に参加しておられますね。」
「いや、こちらが楽しませてもらっています。勉強を教える楽しさは、わかった、と言ってもらえる子どもたちの笑顔が楽しみでやっているんです。」
「毎年、多額のご寄付もありがとうございます。」
「自分もボランティアをしているので、かかわっている以上、できることは何でもやっていきたいです。」
「今後とも、健康に留意されて、一緒に活動していきたいですね。ご参加をよろしくお願いします。」
Kさん
学習支援教室で5年間学び、今は国立大学に通いながら、ボランティアとして後輩を支えている。
「私の家は生活保護世帯でした。母子世帯で母は障害を抱え、高校生の頃は学校に行くだけではなく、家事のほとんどをこなす時期もありました。両立は大変でした。生活は大変で学校では話せない悩みがいっぱいありました。」
「学習支援教室に参加してみてどうでしたか。」
「さいたま市の学習支援教室に参加したのは中学2年の時でした。それから、5年間通いました。学校で話せないことも事情を知っているスタッフに話すことができました。学習支援教室は私の居場所でした。信頼できる大人がいて頼ることができる場でした。教室の雰囲気も明るく元気を取り戻すことができました。」
「大学進学を決意したきっかけを教えてください。」
「学習もはじめは得意ではなく、大学進学など難しいと思っていましたが、スタッフから『自分は努力で大学に合格できたから、Kも頑張れば進学できるよ』と声をかけてもらったのは大きな励みになりました。国立大学に進学できたのも学習支援教室のスタッフや学生ボラの応援のおかげでした。」
「現在はボランティアとして活躍してくださっていますが、今後こうした子ども支援の在り方はどのようになっていくとよいとお考えですか?」
「折角の支援も、必要としている人達が知らなければ100%の力を発揮できません。こうした活動の存在を社会へ更に知らせる必要があると思います。私の経験談で言うと、当事者ほど情報を掴む余裕もなかったりします。支援団体や支援が必要な人を知っている団体の連携で、支援と需要のマッチングが必要だと思います。」